越境するたび、新しい自分が見えてくる。
人と動物のウェルビーイングの循環を目指して。
能美 君⼈(ロート製薬 コンパニオンアニマル事業グループマネージャー/獣医師/医学博士)
“人と動物のウェルビーイングの持続的な循環”——自らの使命をそう語るのが、ロート製薬でコンパニオンアニマル事業に従事するかたわら、いまも、動物病院で現役獣医師として臨床の現場に立つ能美君人です。
臨床、研究、企業——多様な領域を越境しながら歩んできた能美のキャリアは、人と動物の幸福をつなぐ“循環”そのものでもあります。そんな能美が現在手がけているのが、ロート製薬初のアニマル事業ブランド「Anitto(アニット)」です。ロート製薬が培った人のスキンケアや再生医療の知見を生かし、犬の皮膚トラブルに向き合いながら、治療するだけにとどまらず、日々のケアや予防を通じて動物とその家族を支え続けることを目指しています。本記事では、能美のキャリアを辿りながら、ひとりの社員のハートがロートの新たな価値創出につながる姿を紐解いていきます。

北里大学獣医畜産学部卒業後、臨床獣医師として動物医療の現場に従事。その後、大阪大学医学系研究科(眼科)で再生医療研究に携わり、博士号を取得。研究期間中も獣医師としての勤務を続け、臨床と研究を行き来しながら、生命の仕組みへの探究と臨床現場の課題に向き合い続ける。2021年にロート製薬へ入社。研究開発部門で目薬の有効成分研究に携わったのち、現在は、獣医師としての視点と研究者としての知見を生かしながら、「人と動物のウェルビーイングの持続的な循環」というビジョンを掲げ、ロートのコンパニオンアニマル事業を牽引している。
構造の限界に気づく
——ロート製薬に勤務しながら、現役の獣医師としても臨床に立たれていると伺いました。非常に珍しいキャリアですね。まずはじめに、獣医師を志したきっかけから教えてください。
能美 もともと動物が好きで、小さい頃から「動物の命を助ける仕事がしたい」と思っていました。迷いなく獣医学部に進み、卒業後はクリニックで臨床の現場に入りました。最初のうちは、純粋に“動物たちを救いたい”という気持ちだけで走っていたと思います。しかし、ほどなくして、理想と現実の差に気付くことになります。獣医療の世界は、人の医療のように保険制度があるわけではありません。夜間や休日の診療も多く、拘束時間も長い。そして、経済的にも決して潤沢とはいえません。現場の獣医師や看護師が心身ともに疲弊していくのを見てきました。みんな想いを持って真剣に取り組んでいるのに、だれもあまり幸せになっていない。助けたいという思いが強ければ強いほど、自分たちの心と体が削られていく。そんな矛盾を感じるようになりました。
——それでも、獣医師という仕事と向き合ってきた理由はなんですか?
能美 辞めたいと思ったことは何度もありました。でも、やはり動物が元気になっていく姿を見ると、結局、何にもかえがたい歓びが込み上げてくる。とにかく目の前の子を助けたいという気持ちは変わらなかったんです。だからこそ、どうすれば、この仕組みそのものを変えられるのかを考えるようになりました。個人の努力ではどうにもならない部分がある。動物病院という単位の中で頑張っても、業界全体の仕組みが変わらない限り、同じことが繰り返されてしまう。そんな現実を見ながら、獣医療業界のサステナビリティに対して疑問を感じるようになりました。
——業界の構造そのものを変えたい、という思いが芽生えたのですね。
能美 そうですね。動物を救うだけではなく、「どうすれば、人も動物もそれぞれが無理なく充実した生活を送ることができるのか」。その仕組みを考えたいという気持ちが、少しずつ自分の中で強くなっていきました。
研究、そしてロートとの出会い
——そこから、研究の道へ進まれたのですね。
能美 はい。臨床を続けながらも、もう少し“生命の仕組み”を根本から理解したいと思うようになりました。少し動物の業界を離れて見つめ直す意味でも、人間の医学を研究のフィールドとして選びました。大阪大学の医学系研究科の博士課程に進み、眼科学の研究室で再生医療の基礎研究に携わりました。目というのは、動物でも人でも非常に繊細な器官で、細胞の再生や修復のメカニズムを学ぶには最適なテーマでした。
——臨床の現場からアカデミアへ。動物から人間へ。かなり大きな転換ですね。
能美 そうですね。ただ、アカデミアに移っても臨床の現場を完全に離れてしまいたくはなかった。週に2~3回ほど、動物病院での診療を続けていました。臨床と研究、動物と人間、その両方の現場を行き来することで、命というものをより立体的に見つめ直すことができたと思います。研究は、生命の仕組みを“俯瞰して理解する”ことができますが、動物の体温や息づかいを感じるのは、やはり現場です。どちらか一方では、全体像をつかめない気がしました。研究を進めながらも、私の中ではずっと“現場の感覚”が大切な軸になっていたと思います。
——再生医療に携わる中で、どんな気づきがありましたか。
能美 生命には、自分で回復しようとする力がある。細胞が少しずつ形を取り戻していく過程を見ていると、「治す」というよりも、「その命が自ら回復していく力を支える」ことの大切さを感じました。治療という行為を超えて、命そのものが持つ力をどう引き出せるか——その視点が、自分の中に芽生え始めました。
——再生医療と目。まさに、ロートの本丸でもありますね。
能美 そうなんです。私が研究していた大阪大学の眼科の研究室には、ロート製薬の寄附講座があって、ロート社員の方と交流がありました。企業がアカデミアと真剣に向き合っている姿、特にロートの方々は、研究に対しても誠実で真摯な姿勢が印象的で、そうした姿を間近で見ているうちに、研究を通じて得た知を社会に還していくという視点が、自分の中に芽生えていきました。臨床から研究、そして、企業で社会にその知を還元していく。自然とその想いが強くなっていきました。
臨床獣医師はやめないで
——その後、ロートに入社することになるのですね。
能美 はい。大阪大学でポスドクを続けているときに、声をかけていただきました。調べてみると、ロートは目薬に限らず、再生医療やスキンケアなど、ウェルビーイングをサイエンスの力で実現していく事業を幅広く手がけていて、自分の研究や性格とも親和性が高いと感じました。ただ、企業に入るというのは、正直なところ少し迷いもありました。ずっと臨床や研究といった場所でやってきた自分が、はたして一般企業でうまくやっていけるだろうかと悩みました。
——そんな中で、入社を決めた理由はなんだったのでしょう。
能美 決め手になったのは、社風と、そこで働く社員の魅力です。ロートが複業を認めているのは知っていましたが、面接のときに「むしろ、臨床はやめないで」と言われたんです。驚きました。普通は「企業に入るなら、本業に集中して」と言われるものだと思っていましたから。でもロートの方は、「臨床獣医師を続けたほうが面白いんじゃない?」と言ってくださった。そんな温かい言葉をかけてくれる社員の方々に強く惹かれましたし、私が臨床をやめない理由も、研究で追い求めてきたものも、すべて受け入れられたように感じました。この会社なら自分らしく働けると確信しました。
——確かに、ロートには多様なキャリアの人が多い印象があります。
能美 そうですね。ロートは、社員を企業活動の単なる「歯車」としてではなく、一人の人間として見ようとしている会社だと思います。誰もが自分の中にある多面性を大切にしていて、その多面性こそが、本当の意味で社会に新しい価値を生み出す基盤になる。そんな「人間らしさや人間の中にしかない価値を本気で信じる」風土がロートにはあると思います。私のように臨床を続けながら企業に所属するという働き方も、自然に受け入れられる土壌がありました。社員を型にはめるのではなく、むしろ、その人自身の中にある想いや経験をうまく活かして企業活動のエンジンにしていく。そういう発想が、ロートらしさなんだと思います。
——「獣医師はやめないで」という言葉は、まさにその象徴ですね。
能美 まさしくそう思います。ロートでは、“やめないこと”が、個人のわがままではなく、“会社の資産”として見てもらえる。獣医業界やアカデミアといったある種の“閉じた世界”で長い時間を過ごし、普通の企業はかなりビジネスライクなんだろう、と勝手に思っていた私からするとまさに衝撃でした。人間をまるごと受け入れていこうというロートのスタンスが端的に現れている言葉だと思います。
点と点がつながる時
——ロート入社後の話になるのですが、まずは、研究開発部門で働かれていたそうですね。
能美 そうです。目薬の有効成分等の研究に従事していました。目の研究は自分のキャリアの中でも時間をかけて取り組んでいたフィールドですので、自分で言うのもなんですが、しっかりと成果を出せていたと思います。
——そこから現在取り組まれているアニマル事業への転機はどのようなものだったのでしょうか?
能美 転機が訪れたのは、入社してしばらく経った頃でした。ある日、会長の山田さんと話す機会があったんです。私が獣医師としても働いていることは山田さんも知っていて、あくまで雑談として、もともと獣医業界に感じていた “構造の課題”やウェルビーイングという概念を人間だけでなく動物まで広げて考えていけないか?など、さまざまな話をしたんです。そして、ふと、「いつか、人と動物をとりまく業界をもっと健全にしていくような仕事をしたいんですよね」と言ったんです。そんな私のなにげない言葉に対して、山田さんが言われたのが、「いつかじゃなくて、いますぐやったらええやん」の一言でした。
——まさに、「ロートらしい」エピソードですね(笑)
能美 その言葉に驚くとともに、自分がキャリアの中で取り組んできたいくつもの点がつながり、線、そして面になっていくような不思議な感覚がありました。「ぜひ挑戦したいです」と即答しました。そこからは、ロート製薬初のコンパニオンアニマル事業の立ち上げに向けて、ゼロからのスタートでした。最初は社内でも「本当にやるの?」という声もありましたし、法規制や製造の考え方など、人とは異なる部分が多々あり、動物向けに応用するには乗り越える壁も多かった。でも、ロートの強みであるスキンケアや再生医療の知見は、犬や猫の健やかな日々に確実に活かせるはず、そう思っていました。そして、ロートのような名の知れた企業が動物の業界に本気で取り組むことのインパクトは、長年の動物業界で臨床に携わっていた私にはとてもよくわかっていました。
——研究開発部門からまったく新しい事業へ。社内でも大きなチャレンジですね。
能美 はい。正直、私が研究開発部門に残って目薬の研究を続けていた方が、会社としてはわかりやすくビジネスにも直結すると判断するはずなんです。にもかかわらず、ロートは私の中にある“人と動物を取り巻く環境を健やかにしたい”という想いを信じてくれた。普通の会社なら、「とにかく儲かる仕事だけをやってくれ」となるところを、ロートはそうではなかった。会社の利益はもちろん大事な要素ですが、そこにとどまらず、世界のあるべき姿を見つめ、人の想いを軸に事業をつくっていく——その姿勢に、あらためてこの会社の見据えているものの大きさを感じました。
幸福は循環する
——「Anitto(アニット)」についてあらためて教えていただけますか?
能美 Anittoは、ロート製薬として初めて立ち上げたアニマル事業ブランドです。今は、ロートの知見がもっとも活かせるスキンケアを中心に手掛けています。かといって、我田引水なだけではないんです。犬の疾患の中で最も多いのが皮膚に関する病気で、全体の約3割を占めるとも言われています。かゆみや脱毛、炎症などを繰り返す子が多く、治療しても再発してしまうケースが少なくありません。そうした課題に、長年、人のスキンケアや再生医療で培ってきたロートの知見を惜しみなく活かしていければと思っています。さらに、スキンケアだけでなく、ゆくゆくはさまざまな領域にチャレンジしていきたいと考えています。
——ここまで能美さんのキャリアとそこでの経験を興味深く伺ってきました。今後、能美さんが描くビジョンを教えてください。
能美 ロートで働くようになって改めて感じたのは、「ウェルビーイング」という言葉が、単なるスローガンではなく、企業文化そのものに根づいているということです。製薬会社として、人々の健康に貢献したいという真摯な想いとともに、人々や社会が健やかで活力ある状態で保つために何をするべきかを、製薬という領域にこだわらずに、常に問い続けている姿勢があると感じます。私が掲げている「人と動物のウェルビーイングの持続的な循環」も、その延長線上にあると思っています。私自身、臨床の現場で動物と向き合っていると、彼らがどれほど人の心を支えているかを日々感じます。言葉を持たない彼らは、それでも全身で“生きる歓び”を伝えてくれる。そして、その姿に私たちは癒され、励まされている。つまり、動物のウェルビーイングを考えることは、人のウェルビーイングを考えることと表裏一体なんです。ロートが長年取り組んできた広義のウェルビーイングの思想は、個別の人の身体的な健康のみならず、関わるすべての生命がよりよく生きる状態を目指すものだと感じています。それは医薬品やスキンケアといった領域にとどまらず、社会全体のあり方を問うテーマです。Anittoは、その輪の中に“動物”という新たな視点を加える挑戦でもあります。人と動物、医療と暮らし、サイエンスと想い、さまざまな視点で、より大きなウェルビーイングの循環を生み出していくきっかけを作っていきたいですね。
詳しくはこちらから