社会にひらくことで、人も事業も育っていく。
ロート流CSVのカギは“ハート”にあり

河﨑 保徳(ロート製薬 取締役/CHRO)

ロートにとってCSVは、CSRや社会貢献活動の言い換えではありません。日々の事業そのものが、社会の役に立っていることを一人ひとりが実感し、その誇りを次の行動へつなげていくための経営思想です。そう考え、自身のキャリアを通じて体現してきたのが、河﨑保徳です。新社会人として、刻まれた「人は石垣、人は城」という言葉。ロート製薬に転職してから経験した営業、営業企画、米国駐在、そして東日本大震災後の復興支援。さまざまな現場で河﨑が見つめてきたのは、数字の向こうにいる人であり、会社の外に広がる社会でした。「自分の仕事に誇りを持つことが、やがて社会の役に立つ」。そう語る河﨑の歩みを通じて、ロートのCSV思想がどのように生まれ、事業や人財育成、組織文化とつながってきたのか、そして、これからのロートにどのような“ハート”を受け渡していくのかをひもといていきます。

河﨑 保徳ロート製薬 取締役/CHRO

1986年、ロート製薬に入社。営業を起点に、営業企画、マーケティング、メンソレータム社での米国駐在、商品企画部長、営業部長、営業企画部長などを歴任。2011年の東日本大震災後は、復興支援室長として東北・仙台に赴任し、復興支援活動に3年間専念。震災遺児の進学を支援する「公益財団法人みちのく未来基金」の創設にも尽力し、現在も理事として次世代支援に携わる。2014年に広報・CSV推進部を立ち上げ、以降、ロートにおけるCSV推進、理念経営、健康経営、働き方改革を推進。現在は取締役/CHROとして、ロートの価値観を未来へつなぐ人財戦略を牽引している。

  1. 「人は石垣、人は城」から始まった
  2. 店頭で学んだ、売上の先にある価値
  3. 東北で問い直した、会社の存在意義
  4. CSVは“いいこと”ではなく、本業の中にある
  5. 未来を明るくするハートを、次の世代へ

「人は石垣、人は城」から始まった

——河﨑さんは1986年にロート製薬へ入社されています。まずは、ロートに入る前のご経験からお聞かせいただけますか。

河﨑 僕はロートには中途で入りました。新卒では保険会社に入社して、4年間、そこで働いていたんです。その時の経験が、僕のビジネス人生の価値観の一丁目一番地になっています。当時、徹底して教えられたのが、「人は石垣、人は城」ということでした。これは、つきつめれば、人こそすべて、ということ。保険会社の商品は、会社によって大きく違うわけではありません。だからこそ、「人を売るんだ」「自分を磨け」と言われていました。保険は、人の命や人生に関わる商品です。万が一、家族の大黒柱に何かあったとき、その保険が残された家族を支える。お金の価値は同じでも、そこに思いを込めることが保険会社の仕事なんだ、と。一方で、数字に対する厳しさも教わりました。でも、その厳しさの根っこに「人を大切にする」という教えがあったことは、自分の中にずっと残っています。企業は人の集合体であり、一人ひとりが自分を磨くことで石垣が強くなる。その考え方は、後にロートでの仕事にも一本の筋としてつながっていきました。

——ロートへ転職されたきっかけは何だったのでしょうか。

河﨑 家族の健康問題などもあり、全国転勤のある仕事をこのまま続けてよいのかと考えるようになりました。その時に、ロート製薬が大阪本社で、転勤のない地元密着の会社だと聞いたんです。当時のロートは営業マンも20人ほどで、大阪から全国へ出張して営業活動をしているような会社でした。そのアットホームな雰囲気も気に入り、転職を決めました。ところが、ロートに入社した翌年から転勤制度ができたんです(笑)。そういうオチも含めて、僕のロート人生は始まりました。ただ、今はまた環境が変わってきて、転勤は本人の意向に最大限配慮するなど制度上の仕組を入れて社員の生活とキャリア開発の両立を図れるような仕組みを導入しています。

——入社当時のロートには、どのような印象を持ちましたか。

河﨑 ロートに入って驚いたことの一つが、ロート名物とも言える「誕生日ケーキ」でした。社内ではあたりまえになっているのですが、社員の誕生日にホールケーキが届いて、社長や会長からのメッセージカードも添えられている。時期によっては食器だったり、ワインだったりしたこともありましたが、誕生日を大切にする、そのことに、人間として、社員一人ひとりに向き合う思いが伝わってきました。以前、「ロートから何かがなくなったらロートではない、というものがあるとしたら何ですか」と聞かれたことがあります。企業の本質を考えるのに、とても良い問いだと思います。その時に僕は「誕生日ケーキ」と答えました。ケーキそのものが大事というより、その行為に、「人と向き合う会社でありたい」というロートの“らしさ”が表れていると思ったからです。

店頭で学んだ、売上の先にある価値

——営業時代は、数字をかなり意識されていたとお聞きしました。

河﨑 やはり、そこはビジネスです。かなり意識していました。ロートの営業はおしなべて真面目ですから、売上の大きい小さいに関係なく、コツコツお店を回る。小さな薬局さんに行くと、「よう来たね、ロートさん」とみかんを出してくれたり、昼ごはんを食べていけと言ってくれたりする。居心地がよくなるんです。でも、僕は数字を見ることも大事だと思っていました。上位店の売上を少し上げれば、全体の数字が大きく変わる。生産性や効率という概念と、人とのつながりを大事にする気持ち、そのどっちもないがしろにしない姿勢の中にこそ、商売の本質が宿っていると思います。

——その後、営業企画の仕事へ移られます。そこでは、ロートの営業そのものを変えるような仕事をされていますね。

河﨑 営業企画という部署ができましたばかりでした。全社として、営業改革を進めようとしていた時期です。当時は、薬の売り方が推奨販売からセルフ販売へ変わっていく転換期でした。代理店やお店の人に薦めてもらって売る時代から、お客さま自身が売り場で商品を選ぶ時代へ変わっていく。現在、会長の山田さんは、当時はまだ専務でしたが、その変化を早くから見ていました。「セルフに変わったら、ブランドを持っているロートにチャンスが来る」と。でも、営業現場はすぐには変われません。代理店との関係性を軸に仕事をしてきた営業にとって、店頭での商品の置き場所や見せ方を変えていくという発想は、まだまだ当たり前ではありませんでした。そこで僕たちは、とにかく店を回りました。商品がどこに置かれているか。台紙が折れていないか。パッケージは汚れていないか。リップクリームの台紙が折れていたら、自分たちで車に積んだ商品と入れ替える。セルフ販売では、そういう小さなことが、お客さまとの出会いを左右するからです。

——いまでは当たり前になっている店頭づくりを、現場で一つひとつ発見していったのですね。

河﨑 そうです。当時はノウハウがまだありませんでした。どこに置くとよく売れるのか。どんな売価や見え方がよいのか。目薬なら、ブランド名や価格だけでなく、清涼感が分かることも大切だと分かってきた。だからパッケージに清涼感を5段階で表示するようにしたり、容器の写真を入れたりしていきました。お客さまは、箱ではなく容器で商品を覚えていることも多い。使い始めたら箱は捨ててしまいますから、次に売り場で探す時には「あの瓶の目薬」として記憶しているわけです。そういうことも、店頭を回り、お客さまやお店の声を聞く中で分かってきました。営業企画の仕事は、単に販促物をつくることではありませんでした。ロートの商品がお客さまと出会うための仕組みや武器をつくっていくことが仕事でした。

——自らの仕事を、お客様、ひいては、社会の視点で見るきっかけになったのですね。

河﨑 そうですね。営業の最初の頃は、自社の目薬のシェアばかりを気にしていました。でも、次第にそれでは違うと思うようになりました。アイケア全体の価値が上がらないと、目薬のカテゴリーそのものが小さくなってしまう。目は、人生100年時代において本当に大切な感覚器官です。目を大切にする文化を広げていくことは、ロートだけでなく社会にとって必要なことだと思うようになりました。たとえば「ロートZi」や「リセ」は、若い世代に目薬を使うきっかけをつくりました。「アルガード」は花粉症の目薬という市場を広げました。「Cキューブ」は、コンタクトレンズのケア用品をドラッグストアで買うという新しい流れをつくっていきました。売上をつくるだけではなく、生活者の行動や意識を変え、アイケアへの入口を広げていく。ロートがやってきたことには、そういう意味があったと思います。もちろん、売上は大事です。でも、その向こう側には必ず人がいる。若い頃は目の前の数字を追っていましたが、営業や営業企画の現場を通じて、商売の先にある価値を少しずつ見ていくようになったのだと思います。

東北で問い直した、会社の存在意義

——2011年の東日本大震災後、復興支援室長として東北へ赴任されます。ご自身にとって大きな転機だったのではないでしょうか。

河﨑 間違いなく、大きな転機でした。あの3年間がなければ、いまの僕はないと思います。被災地では、会社の名前や肩書きだけでは何もできません。たとえば、いろいろな会社が社名入りのビブスを着て泥かきに入る。もちろん、それ自体は大切な活動です。でも、30人で1日かけて進むのは20メートル、25メートルほどだったりするわけです。その時に、「これはロートがやった」「これは別の会社がやった」と分けることに、どれだけの意味があるのかと思いました。本当に被災された方の力になりたいなら、会社名を前に出すより、力を合わせた方がいい。ロートから20人、別の会社から20人来ているなら、それを40人の力で終わらせるのではなく、工夫次第で50人、60人分の力にできるかもしれない。実際、泥かきも1日目より2日目、3日目の方がうまくなっていくんです。人は「何のためにやるのか」が共有されると、自然と工夫を始める。人が組織が目的をひとつに協力する、そのことで大きな力が生まれてくる。それを、ひしひしと現場で感じました。

——社会課題は、一社だけでは解けないという、現在の河﨑さんの意識につながっていくのですね。

河﨑 本当にそうです。被災地で学んだことの一つは、「自社だけで何かができると思うな」ということでした。一社だけで社会課題に向き合えると思うのは、強い言葉になりますが、ある種の「うぬ惚れ」だと思います。復興の現場には、その地域の方々、行政、団体、企業、さまざまな人たちがいました。それぞれ立場も時間軸も違います。でも、目指しているものが同じであれば、一緒にできることはたくさんある。逆に、目の前の自社の利益や都合だけに縛られると、社会課題には届きません。僕は、売上や利益だけに縛られ、それが目的化してしまう企業経営から脱皮していくヒントがCSVにあると思っています。CSVの考え方に初めて触れた時、利益が出た後の余剰で何かよいことをするのではなく、本業そのものが社会の役に立っている。また、事業の中で一人ひとりが意義を実感できるようにする。まさにロートが目指すべき方向だと感じました。

——復興の現場では、「未来」という視点の大切さも感じられたそうですね。

河﨑 沿岸部の町を復興していく時に、町を山の上に作り直すのか、海の近くに戻すのかで、激しく意見のぶつかる場面を何度も見ました。大切な人を亡くし、同じように傷ついたはずの人たちが、復興の話になると敵同士のようになってしまう。短期的に自分たちの事情だけを見ると、利害はどうしてもぶつかります。でも、その議論がまとまっていく瞬間がありました。それは、「子どもや孫にどんな町を残すのか」という話になった時です。自分のためではなく、未来の世代のためにどうするかを考えた時に、人はもう一度同じ方向を向ける。企業も同じだと思います。短期の成果だけを見ていれば、部門同士、会社同士の利害はぶつかります。でも、未来世代に何を遺すのかという軸を持てば、違う立場の人とも協力できる。東北で見たことは、会社の経営にもそのままつながる学びでした。

CSVは“いいこと”ではなく、
本業の中にある

——河﨑さんにとって、ロート流のCSVとはどのようなものなのでしょうか。

河﨑 ロートのCSVは「本業に誇りを持つこと」から始まると思っています。余剰の利益でやるような社会貢献だけでは、会社の本質にはなりにくい。ロートが目指しているCSVは、日々の本業そのものが社会の役に立っていると、一人ひとりが自分の言葉で語れるようになることです。たとえば、営業であれば、売上が100%達成できたことだけを誇りにするのではなく、アイケアを広げていること、目を大切にする意識を社会に広げていることを誇りにしてほしい。研究開発であれ、工場であれ、管理部門であれ、自分の仕事が誰のどんな健やかさにつながっているのかを考えることが大事です。仕事や役割の先に、お客さまがいて、社会がある。その価値をできるだけ見えるようにしていければと思っています。

——かるがも基金のような取り組みも、その考え方を象徴していますね。

河﨑 そうですね。かるがも基金は、社員みずからが発案した、社員一人ひとりが、自分のポケットマネーから社会課題に関わる取り組みです。僕は、8割以上の社員がそういう取り組みに参加してくれている会社であることを誇りに思っています。大事なのは、社会課題を探しに行くのも、関わるのも、経営陣だけの仕事ではないということです。みちのく未来基金も、かるがも基金も、根っこには同じ考えがあります。困っている人に上から手を差し伸べるということではなく、自分たちの仕事や営みが本来的に社会とつながっていることを実感する。その実感が、仕事への向き合い方を変えていくのだと思います。

——複業・兼業や社内ダブルジョブのような働き方の制度も、CSVとつながっているのでしょうか。

河﨑 根のところは同じだと思います。複業解禁やダブルジョブ、手挙げの制度なども、単に先進的に見せるためにやっているわけではありません。社員一人ひとりに視野を広げてほしいからです。目の前の仕事をやり遂げることだけに意識が縛られていると、世界で何が起きているのか、どんな社会課題があるのかが見えにくくなります。会社の中だけでは見えないものを、社外とのつながりや新しい挑戦を通じて見に行ってほしい。そうすることで、自分の仕事の意味も変わって見えてくるはずです。親の視野が広がれば、子どもにも伝わります。親が、社会に目を向けて働いている姿は、きっと子どもたちにも伝わっていくと思うんです。つまり、ロート流のCSVとは、「社会参加をみんなですること」「目線を広げること」「自分たちで行動を起こすこと」だと思います。そういう人たちの集まりになれば、社会課題はどんどん見えてくる。その課題と事業がつながり、研究所や工場、営業、管理部門など、いろいろな人が一緒に解決に向かっていける。そこに会社というものの真の可能性があると思います。

※社員有志による積立金と会社からの支援を原資とした、社員主導型の寄付プログラム。2003年の設立以来、福祉や環境活動など、社会的に必要とされる活動を支援する目的で運営されています。

未来を明るくするハートを、
次の世代へ

——現在はCHROとして、ロートの人財戦略を牽引されています。これからのロートにとって、何を大切にしていきたいですか。

河﨑 経営の大きな仕事の一つは、会社で働く人やお取引先を含めたステークホルダーに、「未来は明るい」と感じてもらう空気をつくることだと思っています。もちろん、無責任に未来がバラ色だと言いたいわけではありません。困難なこともある。チャレンジしなければならないこともある。それでも、この会社は人の役に立つことを考え続けている。ここで働くことに誇りが持てる。できれば、自分の子どもにも来てほしいと思える。そういう会社にしていきたいですね。

——「ロートは、ハートだ。」という言葉にも、そこにつながる意味を感じられます。

河﨑 そう思います。ロートのスローガンは、時代ごとに変わってきました。「よろこびっくり製薬会社」もありましたし、「NEVER SAY NEVER」もありました。でも、それらは上塗りされて消えたのではなく、精神として積み重なって今の「ロートは、ハートだ。」につながっているのだと思います。「NEVER SAY NEVER」の時、僕が一つお願いしたのは、後ろに「for」をつけてほしいということでした。「for money」や「for me」ではなく、「for eyes」でも「for people」でも「for children」でもいい。自分以外の誰かのために、僕たちは「NEVER SAY NEVER」なんだと。そういう思いは、今もロートの中に生きていると思います。言葉にも、商品にも、仕事にも、ハートは宿ると思います。社内に残すハートもあるし、お客さまに届けるハートもある。未来につながるハートを、みんなで残していきたいし、送っていきたい。

——最後に、「ひらけ、ハート!ひらけ、ロート!」という言葉を、河﨑さんはどのように受け止めていますか。

河﨑 とてもロートらしい言葉だと思います。ハートをひらくというのは、自分たちの内側にある思いや価値観を、社会に向けてひらいていくことでもあります。会社をひらく。人をひらく。事業をひらく。そうすることで、社会からも新鮮な風や新しい声や気づかなかったような学びがどんどん入ってくる。ロートは、社会課題を自社だけで解こうとする会社ではありません。部門を越え、会社を越え、地域や行政、学校、スタートアップ、NPOなど、さまざまな人たちと一緒に取り組んでいく。その時に大切なのは、同じ未来を見ているかどうかです。人生100年時代の日本の幸せのために。子どもたちの未来のために。めざす北極星が共有できれば、立場や時間軸が違っても、一緒にできることは必ずあります。もちろん、未来をつくるのは、制度や組織だけではありません。一人ひとりの社員が、自分の仕事の先にいる誰かを想像し、社会へ目をひらき、自分から動き出すこと。その小さなハートの積み重ねが、会社を変え、社会を変えていく。ロートは、これまでも、これからもそういう会社であってほしいと思っています。